東北ツーリング2011-Day42011/09/25 23:27

7:00頃目が覚めたけど疲れがたまってきたのでゆっくりする。天気予報をみてみると今日も晴れのようだ。気温も暑くなりそう。特に予定も考えてなかったので大沢温泉から奥へ走ってみた。豊沢ダムを見る。


遠野の道の駅でりんごを買って家に送った。観賞用のかぼちゃも買って一緒に送ろうとしたのだけれど、2個口になるといわれたので送るのはあきらめた。
遠野の道を宛てなく走り、迷い、引き返し、山口の水車小屋に着いた。写真を撮る。暑い、たまらん。南側を走りながら喫茶店を探したけど無い。ぐるっと回ってしまい花巻まで戻ってしまった。スーパーに入って涼んでカップのアイスコーヒーを飲んだ。
走るのも疲れたので旅館に戻り温泉つかって牛乳とアイス。洗濯した。
食堂で更科蕎麦を食ったけどにぎやかな老夫婦2組がうるさいのでそば湯も飲まずに退散する。
長くツーリングするとこんな日もある。




東北ツーリング2011-Day32011/09/24 18:50

AM6:00頃起床。爆睡してた。朝風呂に入る。ここの温泉はいいなあ。宮沢賢治や高村光太郎が愛したというのも納得出来る。ここの看板は相田みつおが書いたものらしい。朝食を食ってると学生も結構いたなあ。合宿してるのだろうか?
今日は遠野八幡例大祭。今年で3度目になる、もう慣れたもので社務所の前は通常一般車両は入れないけどバイクは停めてくれる事を知っている。自分は何故この祭りが好きなのだろう?予報では雨だったけど天気はだんだん良くなってきた。気分も上昇してくる。タバコ屋前で子供たちの鹿踊りが始まった。神輿の奉納が始まったようだ。
鹿踊り(こちらでは獅子踊りという)も始まった、このリズムは心揺さぶられるなあ。太鼓と笛の音が染みこむような感じ、もしかしたら自分はこの地方と繋がっているような気がしている。写真を撮る、いいのが切れた気がする、プリントが楽しみだ。流鏑馬も始まった。介添奉行の子が落馬したのでびっくりしたけどこちらではそれぐらいで騒がない。かっこいいんだなあ、流鏑馬って。写真にするのは難しいけど。


祭りも終わり、タバコ屋の前で一服してた。上品なお婆さんが私のバイクをみて話しかけてくる。ナンバープレートをみて「私の父の出身地なのです。」という。この婆さん、なんとあの柳田國男先生のご令嬢(といっても92歳)だそうです。なんでも被災者の方に別荘を開放しているそうで今年の夏はここ遠野でずっと過ごしているそうです。なんでしょうかねこの滲み出る気品というか、生まれ持って出るんでしょうかね。
天気がいいのでカッパ淵に撮りに行った。なんか似つかわしくない若い女性三人組が前を歩いてるんですが彼女らの香水の香りがきつすぎてクラクラ、、、というより気分悪い。これがもし電車内なら吐き気がするだろうなあ。あんたら鼻悪いんかい?
只今午後二時過ぎ、さて、どうしようか?確か明日の天気は良くないようなことを今朝の予報が言ってた気がする。ならば今日のうちに出来ることをやっておかなければ。そう、八幡平のアスピーテラインに行こう。高速をつかえば十分間に合うはずだ。花巻に戻り盛岡を越え松尾で降りる。ここは素晴らしい道路だなあ。バイクでも車でもその操る楽しみを再発見してくれるような道路。あまりないよなあそういうリズムで走れる所って。最近はバイク通勤で渋滞の中ばかり走ってたからバイクの楽しさを忘れかけてた。それを思い出させてくれた気がする。
秋田側の後生掛温泉までいってUターン。戻ってくる頃には薄暗くなってきた。盛岡でじゃじゃ麺とネギご飯、シメにチータンタン。満腹になって旅館に帰る。今日はよく走ったなあ。

東北ツーリング2011-Day22011/09/23 21:18

AM6:00起床。天気は薄曇り、種差海岸を散歩して写真を撮る。芝生のキャンプ場は気持よさそうだなあ。ここでキャンプしてみたいものだ。民宿に戻って朝食。2食付きで6850円。
45号線を南へ向かう、海岸を走るJR八戸線が見える。川にかかる橋脚が折れている箇所があった。横を走る道路も落ちてしまっている。ああ、このまま進んでいいのだろうか?
久慈を過ぎたあたりから道路の掲示板に「復旧作業中、渋滞多発のため一般車両の通行はお控え下さい」というような表示がある。バイクだからそれほど邪魔になっていないだろうと自分に言い聞かせ、心苦しく思いながらも前へ進む。
野田を走っていると突然大きな山が見えた。よくみると下側にTV、冷蔵庫などが転がっている。瓦礫の山だった。これほど大きな瓦礫の山って、、、いつになったら終わるんだろうか?
道路標識で「津波時水害地域」というのがある。海抜の低い地域で津波が来たときは水害が想定される地域である。見覚えがある標識だった。以前から沿岸地域を走ると目にしてた標識だった。この標識のある地域は残念ながら想定通り水害のひどい地域となってしまってた。前へ進む、道路は沿岸部を離れ少し内陸にはいる、ほんの2~3kmほど。するとまるであれがなかったかのような日常に変わる。ガソリンを入れる、トイレを借りる。
突然今までとは違った景色に変わった。一面何も無い、いやあるんだけどそれは以前ここに何かの建物があったという痕跡があるっていう程度のもの。ガソリンスタンドがあった。建物はそこがガソリンスタンドというのがなんとなく分かる程度、でも営業していた。真新しい二台のポンプが設置され、二人のおっちゃんがパイプ椅子に座っていた。
そうか、ここが田老地区なんだ。道路脇にバイクを止めた。周りを見渡すが何も無い、これが6ヶ月後の現実なんだ。衝撃だった、自分の想像をはるかに超えた現実だった。涙が止まらなかった。堤防まで進んでバイクを止めた。濡れてドロドロになった犬のぬいぐるみがあった。ダメだ直視できない。怒りと悲しみを繰り返す、シャッターなんてとても切れない。
田老を抜けるころには瓦礫の山。浄土ヶ浜へ行くが下へ降りれないらしい。あの民宿へ行ってみるが建物は無くなっていた。あれは調理場だっただろうか、民宿の隣の建物は無事だったようだ。声をかけようか迷う、なんて言うのか?言葉が見つからない。立ち去ることにした。おっちゃん、また来ます、必ず。
宮古市内は解体処理の終っていない建物がまだまだ残っていた。交差点の信号も消えたまま。復興作業なんてまだ始まっていないように思える。でも、痛んだ建物で理髪店の看板は回転していた。
釜石まで下りてから遠野へ向かった。コメリでチェーングリスを買って、道の駅で遅い昼飯を食った。大沢温泉を目指すが迷ってしまう、もう何度も来たことがあるはずなのに分からなくなってしまった。何故か大阪府警のパトカーとすれ違う。信号の向こう側は「なにわ」「和泉」ナンバーのパトカーが10台はあっただろうか?ありがとうございます、そしてお疲れ様です!
チェックインして温泉はいって洗濯してカツ丼食って寝た。