東北ツーリング2011-総括2011/09/28 22:45

今年のツーリングはいつもと違ってた。あの日から東北を訪れるべきかどうか最後まで迷った。ボランティアとしてお手伝いをするわけではない、被災地に対して何もしない単なる野次馬として訪れていいものなのか?
岩手の友人や実際に訪れた知人の話では「もし可能なのだったら見ておくべきだ」ということだった。あれから半年が過ぎた、正直に言うと震災をを思い出さない日もあった。もちろん忘れたわけではないのだけれど自分に出来ることは無いからなあと無力感に悩むことも無くなってきた。所詮ひとごととは言わないがあの直後の、自分のことのように考えなくなってきた。
数年前に訪れた宮古の民宿。漁師のおっちゃん(もう漁協の偉いさんらしい)が自慢の「どんこ料理」を食わせてくれた。何故かこのおっちゃんとうまが合い夜中まで飲み明かした。翌日、私はもちろん二日酔い、おっちゃんは漁から帰ってきたけど顔が死んでた。あのおっちゃんは元気だろうか?ネットで検索しまくり同じ漁師さんのブログからおっちゃんとおばちゃんが無事であることを知った。
釜石で出会ったおじいちゃん。鉄鋼の街なのでもちろん仕事は鉄関係。言葉があまりよくわからなかったけど昔話を楽しそうに話してくれた。私の住んでる小さな街も鉄鋼の工場があり、じいさんも訪れたことがあると言ってた。どうか無事でいて欲しい。
東北は第二のふるさとだと思っている。自分のふるさとが甚大な被害にあったんだ。今のふるさとの状況を目に焼き付けておこうと思うのは当たり前の行動なんだと思うようにした。野次馬なんだけど自分の故郷を心配してやって来た野次馬なんだと。

田老の街は衝撃だった。TVや写真では決して写らない無念さを叫ぶ魂をそこらじゅうで感じたような気がした。そういうのを全く信じない私でも、実際その地に立つとそう思わせる何かがあった。もう何度も探しつくしただろう家の跡でまだ何かを探し続けてるおじいちゃん。リヤカーに何かを乗せて孫とどこかへ行くおばあちゃん。元は自分の家だったのだろうか?レジャーシートを敷いて一人で弁当をたべているおっちゃん、まるで誰かと一緒に食べているかのようだった。
津波をかぶった建物でも営業してるガソリンスタンドや理髪店はあった。プレハブ小屋のローソンもあった。彼らはツーリングで訪れた旅行者にガソリンを入れてくれるるだろうか?髪の毛を切ってくれるだろうか?おにぎりを売ってくれるだろうか?きっと快く給油して頭をさっぱりして空腹を満たしてくれるだろう。そうすることで少しでも売上の足しになるのだったら、お願いしようかとも考えた。でも思ったんです、彼らが頑張っているささえってなんなのだろう?自分たちの地域の復興のために自分たちが出来ることをやり始めたのだ、今の私はそのお世話をお受けできる資格があるんだろうか?あのガソリンは復興への1滴なんではないだろうか?
被災地ではいたるところに日の丸の国旗が掲げられていた。被災地と内陸の都市をつなぐ道路でもいたるところで見た。看板もたくさんあった。被災地に向かう道には救援活動の安全を願い、内陸に戻る道には今日のその活動を労うものだった。たくさんの感謝の言葉が続くその道を走るのはうしろめたかった。この方たちのために自分は何をしてきたというのだろうか?
岩手県を走るときは追いぬきやすり抜け、いつもの下品な運転は極力控えた。じゃまにならないように走った。そこまで気を使う必要は無いように思うんだけどそんなことしか出来なかった。県外からの旅行者、気のせいか後ろのドライバーの視線をいつも感じた。現地の人と喋る機会があったとしてもあのことには自分から触れないようにした。

あれから3週間経った。自分にとって今回のツーリングは何だったのだろう?沿岸を走った後からずっと考えている。だから、雨の中を走るのも今回は辛くなかった。思い考えながら走りたかった、でもぜんぜんまとまらないままだった。まとまらないから来年も行ってみたい。来年は現地の散髪屋で切ってもらいたいと思う。